December 2016

情報共有という名の孤独

  私の顔が怖いのか、最近同じ職業の若者が直接私に近づかない。メールでは頻繁に連絡は来るが、まるで濃い人間関係を築くことを恐れているようだ。確かに時代は変わった。ソーシャルネットワークなるものの出現で、コミュニケーションの取り方は変わり、状況を確認しあうだけで、知り合いは友達に格上げされたりする。人間関係を築いた上でのメールやラインなら良いが、関係が狭く希薄な上に成り立つ現状は危うい。これを私は「情報共有という名の孤独」と名付けている。このような時代だが、私は電話でのやり取りが大切だと考え、なるべく肉声での会話を心がけている。しかし、あまりに一方通行が続くと自分が執拗な人間に思えてきて、こちらも淡々を装うネット人間化してしまう。

私の職業であるグラフィックデザイナーの仕事は依頼者の情熱を受け、代弁者として「社会へのラブレター」を創り上げ発信する行為だ。依頼者の熱と私の熱が共鳴することで、他のデザイナーより多くの成果を上げて来たという自負はある。だが、昨今のクールなコミュニケーションを受けて「ラブ」が担保されたデザインに仕上がっているか、ただの「レター」になってはいないか?と自らの仕事を振り返る。

   しかし、時として自分の情熱は空回りし、社会からはじき出されているような孤独感が募る。時代は変わったのかと淋しく感じていた時、同じ職業の同世代の友人が私に助けを求めるように感情を吐き出してきた。聞けば、私と同じ怒りと危惧を感じている。何故、最近の若者から「熱」が感じられないのか。確かに、さらりと器用に物事をこなすが、熱さや深さが足りない。正にこの状況を怒っている私たちの世代は、おっ節介で泥臭い。それとも、これは世代間ギャップという、いつの時代も繰り返されてきた連鎖なのだろうか。

米国では、マスコミの予想を覆してトランプ氏が次期大統領に決まった。何故、事前の票読みとの間にギャップがあったのか。マスコミ各社の反省の弁が語られているが、人々の情報に対する用心深さを察知できなかったのだ。これに対して、トランプ氏は人々の不安や怒りをうまく票につなげることに成功した。また、韓国では政権運営に暗雲が立ちこめ、次から次へと韓流ドラマ顔負けのスクープが繰り出される。朴大統領には国民の期待が高かっただけに裏切られたという怒りが、反動となって人々をデモへと駆り立てている。

こうして、世界情勢に目を向けると、イギリスのEU離脱もそのひとつだが、世界が内向きとなり、怒りが満ちているように感じる。しかし、我が国に目を向ければ、格差社会が叫ばれるものの、政権も安定し、平穏である。贅沢な悩みだが、若者はこの隔離された日本に馴染み過ぎていて、少々もの足らない。バブル期以前の高度成長を知らず、生まれた時から不景気な時代の延長線上には希望を見出だせないのか。かく言う私も、バブル期の恩恵とは無縁だが、高度成長の雰囲気は覚えている。ひょっとすると、私たちの世代は世界に冠たる日本の幻を追いかけているのかもしれない。

社会はこれまで幾多の技術革新により変化を遂げてきた。そして、現在は人工知能の進化が世界を変えようとしている。こんな世の中をあらがう私は、おかしいのか? そこで、iphoneのSiriさんに聞いてみた。即座に「すみません、よくわかりません」と答えが返って来た。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

September 2016

ウォーミングアップ東京

 リオオリンピックの喧噪が去り、次は広島カープの優勝を待つのみと思っていたら、サッカーのワールドカップ予選が始まるという。スポーツを観戦する楽しみは、興奮と緊張から生まれる勝敗の行方である。中でもオリンピックは、息を飲む瞬間を経て、そこから生まれるドラマを体感させてくれる。そして単に観戦者として参加したオリンピックは、4年という歳月を重ねることで歴史の傍観者だったことに気付かされる。

 さぁ、いよいよ次は東京だ。閉会式での東京プレゼンテーションは素晴らしく、小池都知事の着物姿も誇らしかった。色留袖だったが、日本の品格を備えた着物であることは私にも理解できた。また、オリンピック旗を振る際に袖を帯に挟むさりげない所作は、まさに日本女性の存在感であった。欲を言えば、見事なたすき掛けで武士道をも表現して欲しかった。

 この東京ショーは海外での評判も良かったらしいが、日本国民も胸が高まったに違いない。冒頭の君が代のアレンジに感動し、フィルードの赤がクローズアップされて円形となり日本の国旗になった時は、「やるな、ニッポン」と心でガッツポーズをした。続いて、渋谷から始まる躍動感溢れる映像に引きつけられ、世界が知るキャラクターも登場。まさに大サービスだ。国会から安倍首相が車に乗ったシーンでは、「安倍首相がここで参加?」と期待しつつ、食い入るように画面を凝視した。そこへマリオの効果音とともに、安倍マリオの登場だ。まさかこのようなサプライズで登場するなんて…。国会とタクシーのシーンは不要だったかもしれないが、あの広い空間で土管から登場したのが日本の首相だと即座に認識させるには、必要な映像だったのだろう。このショーには、同じクリエイターとして良い意味で心がざわついた。まさに「日出る国、日本」、日本国民の東京オリンピックに向かうハートにも火を付けてくれた。

 余談だが、他の国の映像はどうだったのだろうかと、探して見た。こんな時にはYouTubeは便利だ。次は冬季オリンピックなので、ソチの閉会式で演じられた韓国平昌オリンピックの映像を探してみた。感想だが、がっかりさせられる出来映えであった。芸能文化に優れている韓国が、一体どうしたんだというのが率直な感想だ。もっとも、韓国も東京ショーを見た後だったら、お金もやる気も出したに違いない。つまり、競技だけでなく様々な分野でライバルと言う存在が必要だということだ。それが国力となり、他国を思いやる力となる。

 ところで、宇部市は全国に地域の魅力を発信すべくブランドづくりに奮闘中だが、この地域はどこからの刺激を糧に成長しようとしているのだろうか?私はこのまちでは数少ないブランド開発を生業とする専門家だが、最近のまちづくりが借り物のような気がしてならない。確かに、宇部モンロー主義を飛び越えたように見えるが、果たして、市民は誇りと一体感を感じているだろうか。私は、もっと熱が欲しいと感じているところだ。

 リオオリンピックが始まるまでは、不祥事が重なり東京オリンピックをやる必要が本当にあるのかと国民の気持ちが盛り下がっていた所に、選手達の活躍と安倍マリオ先導の東京ショーである。世界が求める日本と、日本が提供したイメージが高いレベルで合致した瞬間だ。その結果、ソフトパワーが東京オリンピックへの国民のボルテージを一気にあげてくれた。まさにウォーミングアップに入ったのだ。東京はどんなオリンピックを魅せてくれるのか、成熟した日本の姿でもてなしたい。2016年の熱い夏が終わり、わくわくする2020年へと続く幕が上がった。ところで、東京オリンピックの翌年は宇部市施工100周年の年だ。オリンピックに触発されて故郷への愛情をどんな演出で市民に届けてくれるのか、「WARMING UP! UBE 2021」、宇部市への期待も膨らむ。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

April 2016

防災から減災へ

 4月14日、16日の地震には驚いた。揺れが強かった熊本県の最大震度7はもちろん、大分をはじめとした九州各地、そして山口県でも良く揺れた。しかし、九州でこのような大きな地震が起こるとは、想像だにしなかった。昨今の災害は、予期せぬ時、予期せぬ場所で起こる。九州も、台風には備えているものの、まさか地震とは。被災者の方々に心からお見舞い申し上げたい。早く、日常と美しい風景を取り戻して欲しい。緑鮮やかな阿蘇、円錐状の美しい形の米塚、溢れる温泉、美味しい食べ物、挙げればきりがない。特に南阿蘇は良く車で走る場所だ。あの「一心行の大桜」はどうなったのか、トロッコ電車の走る南阿蘇鉄道や白川水源も心配だ。

 さて、宇部市の足下に目を移せば、活断層はあるし、それに近年に起こる可能性が高いとされる「南海トラフ巨大地震」では、かなりの被害が予測されている。しかし、どこか他人事だった。今回の地震で悟ったのは、明日は我が身ということだ。

 ところで、我が家といえば、14日、16日とも良く揺れた。マンションの上層階なので、実際の震度4以上の体感だった。まず、まともに立ってはいられない。怖いほどだ。今回の地震は、警報が鳴ってから数秒後に揺れが来たため、少しは対処できた。土鍋が割れ、観葉植物が倒れただけで、被害は最小限だった。数年前の地震で食器棚が倒れるなどの被害を受けたため、家具を固定し、備えていたのが幸いした。備えあれば憂いなしというが、体験から来る備えは役立つものだ。まぁ、鉄筋コンクリートの建物なので、安全性は確保されていると信じているため、パニックにはならないが、それでもこれ以上の揺れが来た場合、次はどうすれば良いのかと自分の生活に沿った対処方法を考えさせられた。

 まず、玄関を開ける。これはゆがみが生じて扉が開かなくなるのを防ぎ、逃げ道を確保するためだ。次に揺れがおさまったら、風呂に水を貯める。ライフラインの復旧がすぐには期待できないため、屋上の貯水槽に水があるときにあらかじめ貯めておく。エレベーターが止まったら、集合住宅の上層階では水を運ぶなど到底できない。あと、退避の際はブレーカーを落とすなど、その程度しか思い浮かばない。改めて防災に関しては傍観者の立ち位置だと認識した。理由は山口県には大きな地震は来ないと思い込んでいるからだ。しかし、今は日本全国どこでもあり得ると思いはじめている。まずは自分で 自分の身を守る意識を強く持ち、安全対策をしておくことが必要だ。

 そういえば、去年マンションに「防災管理者募集」の張り紙があったことを思いだした。防災管理者について調べてみると、大規模・高層の建築物等において、地震 その他の「火災以外の災害」による被害を軽減するための活動計画を作成し、計画的に行う責任者のことを言うらしい。確かに、自助の次は共助だ。自分達でなんとか対処できるなら、本当に助けを必要とする人達を優先できる。つまり、単に公助を待っていたのでは支障が起きるのだ。地域コミュニティが中心となった避難の誘導、避難所の運営が必要であると感じた。そのためには、備えだ。つまり、自分たちが住んでいる地域の「防災管理者」が必要なのだ。近所とのつながりをもっと深め、ひろげなくてはいけない。「あの方は大丈夫か?」と助けを必要とする人を思い浮かべられるのは地域住民だけだ。まず自身の身を守り、救助される側ではなく、救助する側となる意識が必要だと感じた熊本地震だ。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

February 2016

 スーパースターのクスリ、政治家のスキャンダル、世間を騒がせている出来事は、「人間の業」以前の軽さである。まさに「存在の耐えられない軽さ」だ。特に議員辞職したイクメン議員は会見で、「人間としての欲が勝ってしまった…」と女性問題を釈明したが、よく政治家になれたなというか、どうやって政治の世界に紛れ込んだのかと疑問が生じた。問題を起こした議員は、公募制で選ばれた議員で、そのほかにも公募議員に問題があったことから、その弊害が騒がれている。

私はグラフィックデザイナーという仕事で、日常から企業やブランドのシンボルマークなど様々なデザインを制作している。提案時に、「みんなで決める」という方針になると、困ったなぁという気持ちでいっぱいになる。多数決で決める方法だと、まず尖ったものは選ばれない。しかも、この色とこの色を入れて欲しいなど、みんなの意見を取りまとめて折衷案を出してこられる。このように、過程を大切にされると、完成まで辿り着くのに非常に困難を極めるのがデザインだ。

私は、デザインは想いの強い人が決めてくれることが一番だと考える。自分はその分野のセンスがないと認識しているなら、セカンドオピニオンをおいてもいい。デザインは、ごく少人数で決めるべきだ。所詮、デザインに正解はない。数式で求められるものではないのだ。その時は正しくても、取り巻く環境や時代によって変化する。だから、意見の調整を図るのは諦めたほうがいい。

それでは、果たして政治家はどうなのだろう。公募に手を上げた人材をどのように人選しているのだろうか。やはり、一番はプロフィールだろうが、経歴という過去を見ながら、未来を読み取るのは、至難の技だ。

しかし、公募の弊害だと言って、「自己顕示欲」を悪のように、一括りにされるのは納得できない。辞職した議員は「欲」について語ったが、果たして欲とは人にとって、どういう位置づけなのだろうか。欲望と希望、どちらも望みが付き、どちらも渇望するものだ。それなのに、何故、欲望は悪と感じてしまうのか。

仏教では、代表的な欲として「食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠欲」をあげ、本能的に備わっているものとしている。ただ、修行を通じて無欲を目指すと説いており、そこに仏教界の高みがあるのだろう。

今回の議員のスキャンダルでも、まるで悪のように「自己顕示欲」が語られたが、方向を変えることでプラスに転じ、自身の向上心につなげるべきだと私は考える。

だが、結局のところ、「欲」と言う言葉からは悪のイメージは拭えない。やはり人として、「足るを知る」ということが、「欲」から解放されることだろう。「足るを知る」、つまり「知足」という言葉で示されるが、多くを求めず、満たされている状態を有り難く受け入れられれば、人間としての完成形に近づける。しかし、年をいくら重ねても「欲」は消えないだろう。ただ、年を重ねることで、手に入れても不釣り合いなもの、本当は必要のないものが解ってくるようになる。つまり、「知足」とは自分自身を知ることだろうか。

そんなふうに考えを巡らせていると、「年を取ると、欲しいものが無くなって淋しいものだ」と思い始めた。でも、このことを淋しいと思う感覚は、ひょっとして若さへの「欲」だろうか。だとすると、「欲」から解放されるための修行は「生」を手放すことなのか。いやいや、「生」を意識しないなんて自分にはとても無理だ。おまけに、ふさふさの髪の毛も足して欲しい。やっぱり、まだまだ「欲」からの解放は難しい。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

january 2016, NewYear

日本の備え

 明けましておめでとうございます。それにしても、年齢を重ねる毎に新しい年があっという間に巡り来る。最近はこの傾向に気候変動が拍車をかける。夏から、すぐに冬になり、季節の移り変わりをしみじみと感じることができない慌ただしさだ。このように、季節感は多少薄れつつあるが、日本には四季があるからこそ、この国は繁栄できたと感じる。

 一年中暑い国というのは、基本あくせく働かなくても、なんとか食べていける。だから、得てしてのんびりとした国民性を持つ。もし、日本が一年中過ごしやすい気候だったら、どうだろう。モノづくりの技術がこれ程までに、発展しただろうか。この国に春夏秋冬が存在し、巡りくる季節に備える必要性から年中働く習慣が身に付き、日本人が誇れる勤勉性が育まれたに違いない。夏支度・冬支度と、言葉にすると情緒があるが、自然災害と隣合わせだ。梅雨に備え、台風に備え、洪水、地震、津波、豪雪と、あげればきりがない。日本という国で二千年も繰り返されている「備える」ことへの意識が国の繁栄を支えている根幹だと思う。資源がないことに備える、災害に備える、老後に備える、しいては明日に備える。それは、世代を超えて続いていく命のバトンだ。

 しかし、国の未来は方向を間違うと「備え」だけではすまされない。資源がないために、戦争へと突き進んだ日本の過去を我々は忘れてはならない。追いつめられた時点でどのような道を選択するのか、今の世界情勢が危険な方向に流れそうで怖い。憎しみの連鎖を断ち切ることで、日本は発展してきたが、この日本の歩んで来た道をなんとか世界に示したいものだ。宗教的な問題だけでなく、貧困が根底にあるのなら、日本は教育環境を整える活動に重きをおいて当時国に手を差し伸べて欲しい。このように、ひとつの国だけでは、人類の平和や幸福が形作れない2016年になりそうだ。「一人は皆の為に,皆は一人の為に」なんて、三銃士の言葉がぴったりとはまる新年の幕開けだ。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

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