December 2012

雲となり雨となる

 今年もあと僅か。時代は風雲急を告げ、自民党が日本の舵取りを任された。正直、新しい年を迎えるにあたり、日本におぼろげだが希望が見えた。辛酸をなめた自民党だ。なんとかしてくれるという期待と同時に、祈るような気持ちである。しかし、民主党のお粗末な政権運営に対する拒否反応がこれ程までとは思わなかった。民主党は前回の選挙結果から見ると、まさに天国と地獄。落選議員たちからは、野田総理への恨み節が漏れた。言葉というのは不思議だ。言霊というが、まさに落選議員達が責任転嫁ともとれる言葉を発する姿は、人として醜く映るものである。つくづく、政治家には潔さが必要だと感じた。

 今回の選挙結果を受け、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉を良く聞いた。野球の野村監督の名言かと思っていたら、松浦静山の剣術書から、野村監督が引用したものらしい。意味は言葉の通りだが、今回の選挙では、民主党に限るとこの松浦静山の教訓が生かされていなかったと言える。当選すべき人は、当選しているのだ。

 「雲となり雨となる」という言葉があるが、人情は変わりやすく、頼みにならないという意味だ。「手を翻せば雲となり手を覆せば雨となる」と、杜甫は移り気な人の心を嘆いたのだが、悲しいかな、いつの時代も変わらない人の姿というべきか。一瞬にして、野に下った民主党。正にドミノ現象をもたらす小選挙区制度の恐さを改めて思い知らされた訳だが、今こそ政治家の品格が問われ、政党の未来が問われる。

 さて、1年を振り返って、人情は変わりやすく、頼みにならない場面をいくつか見て来た。この国を覆う閉塞感が国民を世知辛い世の中へと導いている。残念ながら、人は余裕がないと他人にやさしくなれない。現在のデフレ現象は乾いたビジネスシーンを増長させ、生き残りという命題のもとに上意下達、ダンピングの波を押しつけている。そして、多くの企業が実りの少ない見積り依頼ばかりが増えていると嘆く。この様な世相では社会全体にストレスが渦巻き、人は人間不信に陥る。手の平を返すというが、今年ほどこのようなシーンを身近で感じた年は無い。その姿に恥はないのかと思ったが、一種の強さの示し方であり、芸みたいなものかと理解しようとしている。手の平を返した側の理由、返された側の心情。表面は穏やかなだけに、みんな人間出来ているなぁと感心しきりである。未熟者の私には、とても真似できないが、それぞれストレスを抱えながらも必死で生きている結果の単なる現象であると理解することにした。

 とにもかくにもデフレからの脱却が求められる。今回の選挙において国民は景気回復を願い、自民党の掲げる経済政策に票を投じたのだ。自民党に対する期待は大きく、切実である。この維新の地「山口県」から、安倍総理のもと、高村副総裁、河村選対局長と、重要ポストが決定している。地元選出の河村代議士は選挙責任者として勝利に導いた功績から、党三役同等の扱いとなった。地元民としての誇りである。明治維新から脈々と受け継がれた国づくりへの想いを結集し、国を覆う閉塞感を取っ払い、存在感ある日本を何とか取り戻して欲しい。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

October 2012

砂上の国

 最近、考えさせられることがある。ひょっとして私は我が儘になっているのか、それとも日本人全体のコミュニケーション力が落ちているのかという疑問である。先日、新大阪に向かう新幹線の中で、喫煙コーナーに向かった。新幹線の喫煙コーナーの定員は二名だ。一刻も早く吸いたい私は、通路を塞ぐように立つ若者を無視して、開いたブースに滑りこもうとした。すると、その若者が「自分のほうが先だ」と、かなり強い口調で抗議したのだ。まあ、もっともである。気がつかない私が悪い。入口を塞ぐように立っている若者を、座席を確保できない乗客だろうと勝手に決めつけ、喫煙待ちの人がいるなど、考えもしなかった結果だ。ただ、問題はそのものの言い方である。明らかに年長者に対するもの言いでは無い。正直、自分の落ち度は棚に上げムッとした感情が持ち上がった。

 これは、コンビニや銀行のキャッシュコーナーでも同様だ。「順番」は人を過激にする。市内の銀行窓口でのことだ。20分近く待っているがいっこうに名前を呼ばれない。銀行で、20分も待つのは苦痛だ。それでも、みんなイライラしながら順番カードを見つめじっと待っている。それに業を煮やした男性が「早くせんか」とすごみながら大声をあげた。銀行中がシンとなり、窓口の女性が懸命に対応する。窓口の女性は怒鳴られて恐怖に身をすくめている。後ろの男性職員は目も合わさず知らん顔。さて、順番はどうなるか、どう対応するのか…と、観察していたら、順番は無視され、理不尽にも怒号をあげた男の名前が呼ばれた。その声の大きさが、あきらかに順番を変えさせたのだ。これが、現実かと思いながら、散々待たされている人達を観察すると怪訝な顔はするものの、誰一人不平も皮肉も口にしない。正に、どこかの国と日本の構図を見ているようだ。普段は融通の効かない銀行のこの柔軟過ぎる対応は一体何なのか。窓口の女性に男性行員が助け舟をださないのは、男性行員が対処すると、火に油を注ぐ恐れからくる銀行側の危機管理策なのか。真相は解らないが、散々待たされて、不快な思いをした顧客が一番の被害者だ。

 この構図は、まるで領土問題だ。ならば、紛争を棚上げにして、解決しないことが最善の解決策なのかと考える。最近の尖閣諸島の領土問題に対するマスコミの論調も長いものには巻かれろといったニュアンスに変化しつつある。あれ程、中国漁船衝突事件の際に政府の弱腰外交を責め立てたマスコミがである。

 私はよく中国に行くが、これでは中国とは良い関係は構築できないと断言できる。この国には日本の事なかれ主義的大人の対応は通用しない。いや、中国だけでは無い、世界中どこでも同じだ。「領土問題は存在しない」との主張一辺倒では言ったもの勝ちになる恐れがある。もの言わぬ日本人こそ、世界から観た時、異質であることを認識すべきだ。私は中国に行くと、俄然潜在能力に火が付き自己主張力がアップする。この国では自らを主張できない人間は尊重されないからだ。この結果、「あなたは日本人らしくない」という褒め言葉を頂戴する。それはそうだ、膨大な人口、異質な多文化を抱える中国で伸し上がるには、自己主張と交渉力は必須条件である。日本人は、まず国内でもっとコミュニケーション能力を鍛えるべきだと考える。ITの発達は日本人の気質をますます助長させ、コミュニケーション不足に陥っている。肉声を聞かず、顔も見ず、仕事が成り立つ時代だ。私たちは外交カードの切りにくい砂上の国に住んでいる。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

July 2012

いじめの構図

 さて、教育者でもなく、いじめられた経験もない私が、連日のいじめ報道を受けていじめの構図を考えて見た。そもそも、私が学校に通う頃は、「いじめ」という概念は無かった。たが、いじめっ子や不良はいた。同時に社会には大人の目があり、先生も鉄拳を振るえる時代で、怖い存在が親以外にも皆平等にあった。それがいつのまにか、平仮名の「いじめ」という名詞となり、陰湿な社会問題と化した。

 しかし、報道されている「いじめ」の内容を知れば知るほど、怒りがこみ上げる。命を断つことでしか、反撃できなかった子どもの無念さを想い、心底嘆かずにはいられない。昔の不良はケンカが強いことを自慢したが、今は、顔は殴らず、殴ったことがわからないようにするらしい。また、わざと少しだけ殴らせて、自分も殴られたと証拠を捏造することもあるという。狡猾な手口で脅し、あげく、万引きさせるとか、金品を要求するとか、大人顔負けの犯罪が行われている。

 しかしなぜ、こうも卑怯な世の中になったのか。大人の社会も同じだが、何かコミュニケーションの取り方が変だ。携帯メールで、たわい無い会話を繰り返しながら友達確認を続けるのも変だし、facebookで、疲れるほど友達承認を続ける行為も理解できない。情報だけは膨大に受け入れるのに、深い人間関係はシャットアウト。いつしか希薄な人間関係に支配されている。

 このことは、子どもを取り巻く環境でも同様だ。グループ間の空気を読むことには長け、自分を押さえてまでも他人と同調する。そして、仲間はずれにされないために、標的を見つけた場合は、自分に求められた役割を演じる。また、直接いじめという行為には加わらないが、傍観者という立場で自己防衛する。これは、教育者である先生にも通じることだ。見て見ぬふり、気づかぬふり、何も無かったふり、日本人の道徳心はどこに行ったのか。

 これは、やはり子どもにとって、家庭でも、学校でも、社会でも、「怖い存在=師」と言える存在を持てないことが一番の原因だと考える。子どもは叱られながら、道徳心や社会性を学び、成長し、自我を確立していくのではないだろうか。

 先日、初めての小学校の同窓会に広島へ行ってきた。かすかな面影をたよりに郷愁に浸りながら、近況を報告しあい、当時の思い出話に花を咲かせた。悪友とともに先生に殴られたなぁと笑い合った。痛さは忘却の彼方だが、先生に叱られ殴られたことは良い想い出である。特に男子の場合は、勲章みたいなものだ。誉められたことなんか覚えていないのに、叱られたことは記憶に刻まれている。子どもとってこんな積み重ねが大切だと思う。

 しかし、今の教育基本法では「体罰」は禁止である。教育上必要があると認めるときは、懲戒を通じて児童生徒の自己教育力や規範意識の育成を期待することができるとある。この教育現場の「懲戒」ってなんだと思って調べて見ると、『授業中、教室内に起立させる。学習課題や清掃活動を課す。学校当番を多く割り当てる』と、ある。なんだ、これは?ちゃんちゃらおかしい。廊下に立たせることも出来ないなんて。こんなことで、子どもが先生を怖がるか?そもそも、怖い存在でなければ、子どもの旺盛な好奇心は収まらない。子どもは残虐な一面を持つ。何も解っていないからだ。小さい頃から、体罰を持ってでも、人の立場になって物事を考えさせ、道徳を解らせることが大切な通過点だと思う。教育現場の体罰は本当にいけないのか?私の頭の中は疑問だらけだ。もう少し、柔軟に現場に任せられないものだろうか。

 こうして考えて見ると、日本は今、法律で守られているのではなく、法律に縛られた状況である。踏み込めない線を引いて途方に暮れている。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

June 2012

昭和歌謡

 テレビのチャンネルを変えていると、懐かしい曲にふと手が止まった。金井克子の「他人の関係」だ。見慣れぬ若い女性シンガーがあの振り付けを真似て歌っていた。誰だ?と思ったら、「もらい泣き」の一青窈(ひととよう)だった。台湾人の父と日本人の母を持つという、彼女が歌う昭和歌謡は少し不思議な感じがして、思わず聞き入ってしまう。続いて「喝采」、「天使の誘惑」。時代を経て、歌い継がれるというより、歌い改められるという感覚で…。私の中では昭和歌謡の金字塔と思っているちあきなおみの「喝采」を、一青窈は可愛らしい喪服のワンピースで歌うのだ。「喝采」=「ロングドレス」じゃなきゃと単純に感動できないじれったさを抱えつつ、最後は一青窈の歌唱力に屈服し感動してしまった。やはり、名曲だ。いや、ドラマだ。子供の頃に出会った曲だが、音楽から映像が鮮明にイメージできた経験は衝撃だった。

 しかし、最近の曲には感動がない。これは私が年を重ねて、現代の曲を受け入れられないからなのかと考えたが、昭和という時代は日本に力がみなぎっていたように、歌にもパワーがあった。思い返すと、私自身の青春時代はストーンズであり、ビートルズの時代だった。日本の歌ではフォークの黎明期で、加川良なんて好きだったなと思い出す。「下宿屋」という曲をYou Tubeで探すと、これがアップされていることに驚くが10万回も再生されていることを知ると、同じ時代を生きた同士の足跡を見つけたようで嬉しい。ただ、昔のフォークを聞くとやはり歌詞は素人の域を抜けていないものが多い。だが、そこには荒削りだが時代を牽引する力が確かにあった。

 その点、歌謡曲はプロの作詞家、作曲家だ。当時は、歌謡曲はカッコ悪いと感じていて、歌詞をじっくりと噛み締めて聞くことは無かったが、時を経てカバーなどで自然と耳に入ってくるとその時代に引き戻される感傷と、その時には理解できなかった歌詞への感動が入り交じる。「歌は世につれ、世は歌につれ」とは良く言ったものだ。歌は時代を移す鏡だ。そして、時代が歌を作る。

 では、AKBは?KARAは?確かに時代は反映しているが、歌い継がれる曲なのか。世の中のすべてが多様化して、歌というジャンルがシンプルでは無くなったように感じる。私自身は、私が生まれる前の歌を知っているが、これからの時代はシンプルに歌い継がれるということが無くなるのではないかと思う。多くのものに共通する「使い捨て」である。例えば、コンピューターで作曲できるようになり、楽器が無くても楽曲が生まれる。そのため、昔のようなプロの作曲家・作詞家という職業が時代とともに廃れていくのではないか。これは、私の職業でもあるグラフィックデザイナーにも共通することである。コンピューターというツールで、誰しもがいとも簡単に自分の欲する領域に入ることができるようになった。そのために、生み出される結果が求められるのでなく、作ることが目的となりつつある。職業人としは淋しい時代だが、流れは止められない。最後に、このコラムを書きながら思いだしたのが、「やっと忘れた歌がもう一度流行る」と歌った中島みゆきの「りばいばる」。フォークではなく、昭和歌謡の中に入れたい名曲である。是非、You Tubeで探して見て欲しい。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

April 2012

桜の樹の下には

 待ち遠しかった桜の開花宣言が出された。昨晩、真締川沿いを車で通ると、提げられた提灯がぼんやりとまだ寒そうに揺れていたが、そろそろ、今年も見事な姿にお目にかかれるらしい。

 毎年、桜が満開になると「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている」というフレーズを思い出す。梶井基次郎の「桜の樹の下には」という短編からだが、「桜」の美しさをグロテスクなまでに掘り下げた文章と、強烈な書き出しが、未だに「桜」をただの植物ではないと喚起させる。そして、神秘の中に美しさの理由をさがし得たことで、花の下での酒宴を許された登場人物の「俺」は、私の羨望の的である。まだ心撲つ桜に巡り会えない私は、桜の美しさを理解できず、酒宴を許されていない気がするのだ。私の中では、「桜の樹の下には」に登場するような、闇にぽっかりと浮かび、恐いほどに咲き乱れた真っ白な塊の桜が心撲つ「桜」であり、巡り会いたい「桜」なのだ。

 しかし、なぜ日本人は桜が好きなのだろう。本当かどうか定かではないが、桜の樹からは精神を高揚させる成分が出でいるということを、ラジオで聞いたことがある。だから、夜桜は、あれほどに人々を興奮させるのだと。ともかく、桜の下で酒宴を楽しむという粋な行事が未だ廃れていないところを見ると、日本人という民族は心底桜が好きなのだ。そして、桜という花は日本の美学にぴったりとおさまっている。その為、日本人は野山に桜を植え続けてきた。太閤秀吉の「花見」でも有名な吉野山の桜も、自生ではなく植えられたものだという。また、映画にもなったが、バスの車掌さんが、自分が勤務するバス路線(名古屋−金沢間)の沿線に桜を植え、太平洋と日本海を桜並木で結ぼうという壮大な計画を立て、植樹し続けたという実話があった。志半ばの47才という若さで、彼はこの世を去ったのだが、彼をこの計画へ駆り立てたのは、ダムに沈む巨大な樹齢400年の老桜を山の中腹に移植するという光景だった。「奥美濃の桜守」と呼ばれた彼は、日記に「この地球の上に、天の川のような美しい花の星座を作りたい。花を見る心が一つになって、人々が仲良く暮らせるように」と綴っている。

 日本人を陶酔させ、高揚させる桜。桜ほど1年というサイクルで生命の息づかいを印象づけ、散ることさえも美しいと感じることができる植物は少ない。桜の散り際の美しさは、花びらの舞う速度でもある。「秒速50センチ」、これは桜の花びらの舞う速度らしいのだが、この数字が日本人の美学に合うらしい。雪が舞う速度、蛍の飛ぶ速度などがそれにあたるとか。そして、桜は他の木々や山々を借景として、神々しさを増すような気がする。その意味で言えば、宇部市の「ときわ公園」の桜は少し物足りない。「日本の桜の名所100選」にも選ばれているが、悲しいかな日本的な情緒が欠けているのと、神々しさが足りない。しかし、この場所で求めるべきではないのだろうが…。「心撲つ桜の樹」いつか私もどこかで見つけられるだろうか。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

Februaly 2012

蒼き狼の国、モンゴルへ

 混迷の時代にどう正月を過ごすべきか? 結論はぬくぬくと炬燵で蜜柑を食べている場合ではないと、野生の生命力を呼び起こすべくモンゴル行きを決心した。それに、モンゴルにはシベリア鉄道、チンギスハーンという雄々しくもノスタルジックな響きが旅心をかきたてられる。かつてはチンギスハーンの下、人類史上最大の国家を形成した帝国である。共通の蒙古斑なる印を持つアジア人としては、強さの秘密を探るべく旅立った次第だ。

 モンゴルは日本の国土の約4倍の面積を誇り、その内80%を草原が占める。しかし、この時期の草原には日本人が想像する爽やかな風は吹いてはいない。冬はマイナス30度、極寒の地へと変貌する。私は福岡空港発、北京経由でモンゴルを目指した。飛行機から見下ろす風景は刻々と変わり、緑から一面白銀の世界へ。白く凍てついたゴビ砂漠を超えると首都ウランバートルの表玄関「チンギスハーン国際空港」が眼下に迫る。降り立った空港は簡素な雰囲気で、夏なら草原の中の空港という感じであろう。肺を満たす空気が冷たい。今まで生きて来た中で一番の寒さを経験しているわけだ。

 到着後、ウランバートル市内へと車で移動する。しかし、何故か不思議な感覚なのだ。モンゴルの首都を目指している筈なのに、まるで日本だ。それも宇部市や山陽小野田市郊外の雰囲気だ。走っている車の80%が日本車で、四駆のレクサスをこれ程目にしたのは初めてである。厳しい自然環境下、この高級な日本車は命の値段と言うことか。行き交う人たちも日本人と同じ顔だし、渋滞も同じだ。道路のガタガタさえ除けば。

 司馬遼太郎は「街道をいく」の中で、モンゴルの遊牧民を、欲しがる心をそぎ落とし、奇跡的なほど欲望少なく生きていると表現している。移動式住居ゲルで、必要最低限のものしか持たず、羊や馬、ラクダとともに遊牧生活を営む民族へのオマージュの言葉だ。果たして、今のモンゴルはどうなっているのか。

 首都ウランバートルは、高層ビルは無いが都会である。現在のモンゴルは、社会主義から資本主義政策への変革により市場経済が持ち込まれ、首都ウランバートルには、地方から多くの人々が押し寄せている。この20年間に人口は2倍に膨れ、現在は100万人を超える。しかし、モンゴルは、近年希少金属で世界から注目されているとはいえ、産業に乏しく、仕事に就けない人が多く存在し、その人達は家も持てず、市街地を囲むようにゲルで暮らす。市場経済は、遊牧から定住へと生活を変化させたが、夢見た生活を手にした人はごく一部であろう。厳しい自然の中でも生きることに疑問を持たなかった人々が、ある日、自分達の生き方は外とは違っていると感じ始める。何故、世界にはモノが溢れているのに、私たちは物質的に恵まれていないのかと。とにかく、都会へ行こう。都会には夢が詰まっていると。狼が都会で暮らすことは難しい筈なのに、このいびつな都会への人口流入は不幸な方向へ傾いたままだ。

 日本では、物質的な豊かさを追い求めてきたライフスタイルに疑問を持つ人々が増えつつある。この価値観の変化はやはり経験や知識、教育があってこそだ。しかし、牙をむく自然と向き合いながら暮らす人々に、物質的豊かさは人としての幸せではないと説いても、なかなか伝わらないことが悲しい。

 なぜか、頭だけで旅したようだが、モンゴルの良さも十分に味わってきた。テレルジの大自然の中でゲル体験もしたし、初日の出を見にシベリア鉄道にも乗った。羊肉は臭みがなくモンゴル料理が日本人の口にあうのも大きな驚きだった。

 大草原のモンゴルに憧れて、少しだけ足を踏み入れたが、どこの国も問題を抱え、道を模索している。蒼き狼チンギスハーンの血を受け継ぐ誇り高き遊牧民は、今、欲望と戦いながら都会をさまよい歩いている。

ウランバートルからシベリア鉄道に乗って2時間。雪原にて初日の出を望む(写真は演出なしのリアル)

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

january 2012, NewYear

冷静と情熱。

 昨年末は、立て続けに進路変更のハガキが届いた。年齢的な退職ならまだしも、会社のリストラにあったり、会社を閉じたりとの理由が目立った。最近の経営者には、このまま事業を続けても展望が見いだせず、会社を閉じる人が多いと聞いていたが、正に身近なところで不況が色濃く影を落としている。中でも、40代の経営者から届いたハガキには驚き、すぐに電話をした。話を聞くと、不況の風に満身創痍となる前に、進路変更という選択をしたという。彼は「自分の中では最善の選択です」と、胸を張った。悔しさもあるだろう、しかし、彼は会社を閉じ、会社勤務を選択したのだ。「撤退」だが「前進」といえる冷静な判断だ。彼の歩んだ歳月を想うと胸が熱くなったが、冷静な彼らしい選択だ。しかし、誰しもが冷静な判断を下せるとは限らない。額に汗して働けば、結果が伴う時代の終焉は理解できたとしても、冷静と情熱の間で必ず戸惑うはずである。取り繕うことが許されない厳しい現実の中、冷静と情熱のせめぎ合いに勝敗は無い。ただ踏み出す明日が未来なら、笑える日が多い方が良いに決まっている。生命力に添った楽観主義に落ちてみるのも手かもしれない。さて、年始早々暗い世相を嘆いてしまったが、今年の干支は龍である。龍は秋には淵の中に潜み、春には竜巻となって天空に昇り飛翔するといわれている。龍の如く強い生命力を蓄えた人材が多く出現し、景気を牽引して、日本が飛翔する年であることを願うばかりだ。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

page top