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吉井純起コラム  /  

November 2011

雷龍の国からの使者。

 ブータンのワンチュク国王夫妻の来日は、何故か神聖で幸せな感覚で受け入れられた。ただ、顔立ちが美しいというのとは違う。包容力や高貴な雰囲気を肌で感じるのだ。これは、日本人と民族的に似ている外見と、仏教という我々に受け入れやすい宗教がベースにあるからではないだろうか。それとともに、国王夫妻が身にまとった民族衣装が大きく関係していると考える。あの黒髪に合う美しい民族衣装の色彩は、日本人が理解できる色調や柄であり、色の重ね使いなど、我々であればこそ解る清楚さと気品が同居する着こなしである。形も和服と良く似ており、調べたところ、男性の衣装を「ゴ」、女性の巻きスカートのような衣装を「キラ」というらしい。男性の礼装では、「ゴ」の上に「カムニ」という大きな肩布を掛けるが、その姿は僧侶を連想させ、思わず手を合わせたくなる様な神聖な雰囲気が漂う。所作も美しく見えるのは、日本人が和服を着たときを考えれば理解できる。
 そもそも、ブータンでは1989年から国民も公的な場では民族衣装の着用を義務づけられている。これはある種のイメージ戦略だと安易に言い放ちそうだが、実は国民自身への民族的誇りの醸成であろう。日本でも和服が見直されてはいるが、一般的には着る機会は殆どない。実は、この私も呉服屋に生まれたのだが、時代の流れに逆らえず、親父の時代には洋服を売っていた。祖父はいつも和服を着ていたが、今の私にはその記憶だけが残る。日本は和服という文化をもっと大切にすべきだと、今回のブータン国王夫妻の来日で感じた次第だ。そういえば、私は作家川端康成がストックホルムでのノーベル賞授賞式に羽織・袴姿で出席し、圧倒的な存在感で異彩を放った光景を今も記憶している。その姿を世界は「日本人はなんと美しい民族であるのか」と賞賛をもって受け入れたのだ。つまり、川端康成は日本文学を代表してではなく、日本文化を、そして日本という国を代表して世界の檜舞台に立った。追記すると受賞記念の講演は「美しい日本の私」であった。
 これに習えば、日本の首相が世界の首脳が集う場に立つ際には、羽織・袴姿で臨んで欲しいと考える。何故なら、目にする首脳会合の映像からは日本人であることの誇りを感じ得ないからだ。唯一、「日本人もまんざらではないな」と感じられたのは、体格のいい中曽根元首相ぐらいで、胴長短足の日本人はアングロサクソンの洋服文化の上では輝きをもって存在を示せない。もし、野田総理が羽織・袴姿で出席したならば、西郷隆盛を彷彿させる出で立ちになるのではないかと、考えるだけでわくわくしてしまう。特に、今となっては叶わないが、剣道が特技だった橋本元首相には、是非とも羽織・袴姿で出席して欲しかった。歌舞伎俳優を思わせる風貌で世界に日本人の根底にある武士道精神を発信できたに違いない。世界はグローバル化が進むが、相互理解は異質な国柄を認識した上で成り立つ。デザインを業とする職業人として言わせていただければ、人間は残念ながら8割から9割方は外見で判断する生き物なのだ。この観点で考えると円滑なコミュニケートを図るにはアイデンティティを戦略的に表現する行為は必然な要素といえる。
 さて、ブータンの話しに戻るが、現国王は26才という若さで王位を継承し、前国王の「国民総幸福量」なる考えを受け継いで政治をおこなっている。これは金銭的・物質的豊かさをはかるような「国民総生産」ではなく、精神的な豊かさを目指す「国民総幸福量」という概念だ。効率ではなく、ゆっくりとした成長を目指すことで、国民の幸福度の向上を願う国、ブータン。外見は似ているのに、日本とは真逆の生き方を選択したと言っていい。さて、ブータンの国名は「雷龍」のことであり、国旗にも白い昇り龍が描かれている。来年は辰年であるが、この雷龍の国からの幸福の使者にあやかって、日本に幸福が訪れることを願うばかりである。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

August 2011

韓国初見参

 韓国には行ったことがない私が、お盆に初めてソウルに行った。なぜ、訪れなかったかというと、理由は単純で辛いモノがダメだからだ。いくら美味しいと言われても、赤い色を見るとジワリ汗が滲んで来る。そんな私には韓国食材は鬼門で、この構図がある限り、韓国の地を決して踏むことはないと思っていた。しかし、アジア躍進の時代に一番近い韓国を体感せずに、アジアを論ずることは出来ないと意を決した。
 こうして、活気溢れるソウルに出迎えられ初韓国の旅は始まった。今回の旅では縁あって、宇部で育つも、単身海を渡り現地で暮らす若い女性とその韓国人の彼と会い、今の韓国を知る機会を得た。しかしながら、女性は逞しい。彼女のお母さんは韓国へ行ったきり戻って来ない娘を心配されているが、日本人観光客も訪れる人気スポットのアクセサリーショップに勤め、巧みにハングルと日本語を操り、見事に異国の地に溶け込んでいる。反対に日本男児はどうしたものか?今回の旅行で遭遇する日本人観光客は女性ばかりだ。たまに出会う男性は奥さんにひっぱり出された様子が窺え、荷物持ちに徹しすっかり影は薄い。それに引き替え、韓国の男性は徴兵制があるせいか、悔しい位に胸板が厚く逞しい。紹介された韓国人の彼も礼儀正しく、所作がきびきびと爽やかだ。その彼の話によると、兵役は、肉体的・精神的に本当に厳しく、この体験があれば仕事のつらさなど我慢できるとのことであった。
 さて、この徴兵制度だが、日本では草食男子を憂いて、現実味の無い徴兵制導入を例え話にあげる向きもある。しかし、この制度は今の韓国において様々な問題をはらんでいると言う。北朝鮮との緊張関係は存在するものの、日本同様に平和で豊かな生活を満喫している若者が、兵役のために2〜3年間、外界から遮断された環境下で、過酷な軍隊生活をしいられる。その結果、兵役中のみならず、除隊後の社会生活への適応など、精神的に追いつめられ、これが社会問題化しているらしい。豊かさはこの国でも新たな問題を生み出している。
 私はこの韓国軍が国連軍として警備に当たる板門店を訪れた。板門店とは1953年に朝鮮戦争の休戦協定が締結された場所で、JSAと呼ばれる共同警備区域である。単独で訪れることは許されず、必ずツアーに参加しなければならない。二度に渡るパスポートチェックを受け、自己責任の旨が書かれた誓約書にサインをして、緊迫した空気が漂う地に足を踏み入れる。改めて、未だ戦争が終結していない現実を実感する。この地域は国連軍と北朝鮮軍が共同で守っているのだが、正しくは、軍事境界線を挟んで、睨み合っているという表現が適切だ。ほんの50m先にはこちらの様子を凝視する北朝鮮兵士の姿が見える。この日はあいにく小雨がぱらつく天気であったが、傘の持ち込みは許されない。だが、雨は降っている。ガイドは雨に濡れる場所は少しなので、どうしても嫌な人だけに合羽の購入を勧めた。しかし、バス満杯の日本人ツアー客、見事に全員が合羽を購入するに至った。緊迫感溢れる地で少しの雨に濡れることさえ嫌う日本人。私を含め、恥ずかしながら平和ボケした国民の姿が浮き彫りになる形となった。この様子を見て、両軍の兵士はこれしきの雨が何だと、呆れたと同時に安心したに違いない。
 しかし、これは国民性だと言い放ちたい。予測不可能なことでも、経験に沿って出来る限りの予防線を張り安全を確保し、肉体的・経済的損失を防ぎたいという守りなのだ。中国人なら傘をささせろと騒ぐだろうし、米国人ならツアー条件を交渉するだろう。我々日本人は自分の中で消化して受け入れる自己完結型なのだ。とは言っても、防御が最大の武器ではグローバル化が進む国際社会において国は栄えない。もっと、建設的なわがままが言える日本人が大量に必要だ。日本の若者よ、疑問を持て。もっと恥ずかしい位に熱くなれ。おじさんは暑苦しい程に熱いぞ!!

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

June 2011

孫子の兵法

 「君命に受けざる所あり」二千五百年前に説かれたという有名な孫子の兵法だが、君主の命令であっても状況によっては従わないという意味だ。昨今の政争然り、福島原発の吉田所長然り、JR北海道の石勝線事故もそうだ。車外に出ないで下さいとの指示がありながらも乗客は充満する煙に、このままでは命が危険と判断、真っ暗なトンネルを通り脱出し、事なきを得た。
 さて、前出の政争の件だが、野党の内閣不信任案提出にはじまった民主党の茶番劇。採決前夜には与党内部からの賛成者が八十人に迫る勢いで、不信任案可決が現実味を帯びて来た。そんな状態だったからこそ、民主党議員は仲裁役で登場した鳩山前首相の言葉を信じてしまった。菅首相に対し、最後は武士の情けだと思ったのだろう。
 否決後、菅首相が長期続投に意欲を見せた豹変ぶりには与野党を問わず驚愕したに違いない。特に民主党議員の心中を察するには余りある。かみしもを着て出てくると思ったら、鎧兜だったなんて例え話がテレビであったが、正にそうだ。 「兵とは詭道(きどう)なり」、兵法では戦は騙し合いであると説いているのだが、当然、永田町の住人に政治的騙し合いは沁み入っている事象だろうと思っていた。だが、日本語の曖昧さでマスコミまでも見事に欺いた菅首相はある意味あっぱれである。その策士ぶりは被災地復興の策として使うべきなのだが。
 しかし、国民があきれ果てるほどのこのお粗末さはなんだ。ペテン師と叫ぶ前首相。詐欺と揶揄される現首相。おそらく、こうまでしてしがみつく首相の座は早々に明け渡すことになるだろうが、菅首相の人間性への疑問符は拭えない。この茶番劇、鳩山前首相の芝居だったらなんてことも考えてみた。だが、いくらなんでもそれはない。民主党を空中分解させないという大きな愛があれば別だが。
 菅首相には「兵には拙速(せっそく)なるを聞くも未だ巧久(こうきゅう)をみざるなり」という言葉があてはまる。戦いに拙速はあっても巧妙な持久戦はないということだ。早いだけが良いわけではないが、震災の現場が窮していることへの対応はスピードを優先して欲しい。反対に、首相の座への持久戦は勘弁して欲しい。
 そうすると、もしかして次期総理は、「戦わずして人の兵を屈するのは、善の善なるものなり」(戦わずして敵を屈服させることが最善である)という諺通りなら、蚊帳の外を決め込んでいた前原前外相あたりが総理候補か。この文章が掲載されている頃には、その辺りが明らかにされているかもしれないが、菅首相の長期続投だけは避けてもらいたい。辞めると宣言されている首相が居座ることこそが政治的空白だからだ。
   それにしても、この兵法を記した孫武。中国・春秋時代に呉の国の王に仕えた軍師だ。日本へは遣唐使である吉備真備が伝えたとされている。世界最古の戦術書が、未だ古くならないというのは、文明は発達してもいかに人間の本質が変わらないということか。曹操、諸葛孔明、武田信玄、ナポレオンまでも、参考にしたというこの本、状況分析の大切さやリーダーのあるべき姿など、普遍的な事柄が説かれているのでビジネス書としても有名である。
 しかし、今回の茶番劇、ひょっとして一番騙され踊らされたのは国民だろうか。近々の世論調査では信じられないことに民主党の支持率が若干だが上がっているのだ。裸の王様となった菅首相に孫子ならどんなアドバイスをしただろうかと考えてみた。「軍擾(みだ)るるは、将、重からざるなり」。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

March 2011

不撓不屈

 3月11日、マグ二チュード9の巨大地震が東北・関東を襲った。テレビに映しだされた被災地は、まるで爆撃を受けたかのような惨状であった。そして、それに端を発した福島第1原子力発電所の事故。どのような形で終息するか予測できない事態は日本を未曽有の危機へとさらに引きずり込む。地震、津波、原発事故、まさに世界が経験したことのない危機が日本で起こり、その経過を世界が注視している。
 この災害で見えて来たのは、古い原子力発電所の危うさと、情報を精査する判断基準の曖昧さである。日本人は曖昧さの中で上手に生きて来たが、今回の災害、特に原発事故ではそれが許されない。今回の事故をきっかけに世論の大半は原子力発電の廃止に動くであろうが、ある専門家は原子力発電を止めた場合、日本の経済は必ず疲弊すると言い切っていた。何れにせよ、国民は日本の電力政策の選択を突きつけられることになる。そして、この決断は世界の原発の在り方をも変えていくことだろう。
 さて、何もかも想定外だったが、その想定外が起こった場合の危機管理体制は構築されていなかったのか。現在は民主党政権である。そのときの内閣が陣頭指揮することになるが、経験の無さは非常に不安である。ニュースで、電池工業会が電池190万個を被災地へと用意したが、政府から実際に送られたのは僅かであったと言う。政府の言い分は自治体からの要請があってから送るのが原則であり、要請がないので送っていないとの回答だ。被災地の行政組織が機能しない今こそ、政治主導を主張する民主党の力を発揮する場面だと考えるが、調整能力不足には呆れるばかりだ。
 それはそうと、西日本で暮らす我々も非常時での行動を問いかけられている。すぐに出来るのは募金や支援物資を送ることである。後、意見が分かれるのだが、自粛という観点での行事の中止である。私の家族間でもこれには意見が分かれた。独り暮らしで頑張ってくれている母親の八十歳の傘寿の祝いに兄弟家族11名が集まって一泊の温泉旅行を予定していた。昨年末から日程調整し宿をとっていたが、私の妹から電話があり、こんな時期に温泉旅行に行っていいのだろうか、中止しようという内容だった。他方の意見としては、いつ何時何が起こるか解らない現実を受けて、母親を祝う親族が集まる機会は大変貴重である。また、小さな宿の半分を占める部屋の予約を解消したのでは経済的な迷惑を掛ける。今の日本経済を支えるのは西日本。自粛一辺倒ではなく、普通のことをすべきだという考え方だ。結論としては楽しみにしていた母親の気持ちを尊重し、予定通り実行に移したのだが、皆の健康に感謝するとともに、家族の絆の大切さを再確認する意味深い旅となった。歌手のシンディ・ローパーも歌で元気を与えたいと予定していた来日コンサートをそのまま決行。照明などの設備に配慮しながら、歌でメッセージを贈り、終了後は自ら募金箱を抱えた。帰国する外国人も多い中、日本でコンサートを開催した勇気に感動である。
 私はグラフィックデザイナーであるが、現在、印刷紙の不足に悩んでいる。生活するには何の影響もないと思っていたのだが、こんなところに影響があった。被災地には大きな製紙工場が多くあり、出版業界も大変らしい。トイレットペーパーなどとは種類が違うので、日常には心配がないことはお伝えしておくが、これから様々なところに影響が出てくるはずだ。
 人は天災の前には弱いかもしれないが、自然の中では強くなる。知恵と勇気があるからだ。これに秩序を保てる心があれば、日本はもっと強くなる。戦後の復興を考えれば、可能な民族気質である。ここは一致団結して世界の期待に応えてやろう。今こそ不撓不屈の精神で。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起

January 2011, NewYear

今、そこにある危機。

 果たして誰がこの国のリーダーになれば、日本を良い方向へと導けるのだろうか? ますます複雑化する世界情勢の中、景気・雇用・外交・国防など我が国を抱える問題は解決されないままだ。期待をもって誕生した菅総理だったが、宇部市に縁あることを鑑みても、拍手は送れない状況だ。またしても助走段階で叩きつぶされそうな感がある。この流れは最近の首相に共通しており、何れも国民から尊敬を勝ち取れず短命政権に終わっている。この要因を探ると、どうしてもマスコミの在り様を考えさせられる。最近、耳にした話だが、日本と中国のジャーナリストが対談した際、日本側は共産党の統制下にある中国の報道に民主化を求めたという。しかし、それに対して中国側は「確かに日本には表現の自由はある。たが、その結果日本は良い方向に向かっているのか?」という疑問を返し、対する日本側は言葉を失ったそうだ。「情報」は恐い。当然、報道の自由は守られるべきだが、すべてを公開することが正しいとは限らない。国民は視聴率至上主義で垂れ流される情報の質に疑問を持ち始めているが、それでも危うい。だからこそ、マスコミ側に成熟して欲しいと考える。枝葉にばかり囚われず、根幹を成す信念を貫いて欲しいのだ。今、東アジアは軍事的緊張が高まっている。2011年、日本は「国防」「国益」という逃げることができないカードを突きつけられるだろう。

株式会社ヨシイ・デザインワークス 吉井純起